人生って大袈裟かもしれないけど、
自分が死んで終わりってわけじゃないのかもしれない。
その後に残された人への影響もひっくるめて
自分の人生なのかもしれない。
このセリフ、なるほどって思った。
自分の死んだ後のことを考えたら、まだまだ死ねないなって強く思う。
そんなに偉い人でもないし、有名人でもないけど、
自分が死んだら悲しんでくれる人が何人もいるって確信があるから。
悲しんでくれるってことは少なくとも、その人にennaは影響をあたえているってわけで、
自分がたったひとりで生きていたわけじゃないっていう証拠だ。
お互いが影響しあって生きてるから、「自分の人生は自分のものだ」って言ってても、実際は自分のだけのものじゃないなって。
誰かの人生が自分の人生の一部になってるし、自分の人生は誰かの人生の一部になってる。
ちょっと暗い話になりそうだけど、ennaはある作品を見てから、自分のベースが逆転してしまった。
すっごい生命力を感じるものって同時に「死」を色濃くさせると思うのです。
自分が死ぬことを気づかされてしまったというか。。。
それまで、生きていることがあたりまえで、それを前提になんでも考えてたのが、
「生きていることがキセキ」って思うようになった。
生きているのが不思議で、この世界のすべてが不思議に思えてきて、
なんで1+1は2になるのか、とか
なんで朝がきて夜がくるのか、とか
考えてもしかたないことだけど、そういうことが不思議で、
自分がどこからこの世界にきたのかをすごく知りたくって、
同時に「死」に対しての恐怖心、自分が自分じゃなくなってしまう瞬間が
訪れることが怖くて仕方なかった。
生きていることがあたりまえっていう安定感が薄れたから、
なんとなく不安定で、
でも、そう思うようになってからは感動できることがすごく増えたって思う。
(まぁ、昔からよく感動するコだったけど)
その作品に出会ったことを良かったと思えるけど、最初はすごく後悔した。
出会わなければ何も知らずに生きていれたのに。って、ennaが言ったら、
「気づきたくないって知らないふりしていたことをつきつけれらる」って
そのアーティストの展覧会で出会った某美術館の館長は、言ってた。
まさにそのとおり。
生きてることってすごい特別だなって思うようになってから、
親が自分をつくってくれたことをほんまに感謝してるし、
奇跡の連続で自分までたどりついたんやと思うと自分自身もすごく特別。。
せっかくの特別な時間なんだから、できるだけいつも楽しくいたいって強く思う。
だから、逆にけんかしたりしたら異様に悲しい気持ちになる。
だって明日も絶対に生きているって保障はどこにもないから。
けんかしたまま別れてしまったりしたら後悔してもしきれない。
まあ、だからといって
いつ死んでも後悔ないように生きているかといわれると「NO」なんだけどね。
その辺矛盾・・・・(笑)
いつもいつもこんなこと思ってるわけじゃないし。てか、重いね、この話。
大切な人たちの人生の一部になれるように、大切な人たちの人生の一部を担えるように、
これからも明るく元気に生きようって思います(*^▽^*)
春のドラマが続々と始まってるところですが、前のクールのドラマのセリフでした。
ずっと見る時間なくって、最近見た「ラブシャッフル」第9話と最終話。
とびとびにしか見てないけど、これはennaの今まで見たドラマの中で1,2を争うくらい好き。
好きな女優さんも出てるし。吉高由里子さん。前からなんか気になる女優さん。
コメディなのにいろんなこと考えさせられました。
そんでまたセリフがいいんだよなあ。
ああ、もうねぇやんのCDが発売されてるのに、まだ聴けてないよ~(><)
ねぇやんはきっと「死」を意識して生きてる人だと思うなあ。
歌の歌詞とかライブの時のMCとか、ブログに書いてることとか。
だから共感してすごく惹かれるんだと思うんだけど、どうかな。
初めて聴いたとき、ほんまにビビっときたもん。
CDにはねぇやんの手記があるようなのでそれが楽しみw